こるこには、さばと行く。

過去の自分に、今のオレかっちょいいと言わせたい日記。

化石級ゲーム機PSPのマイナーソフト福々の島。

諸君、見てくれ。

 

今やPS4やswitchが主流の現代において

化石となったゲーム機PSPである。

 

現在20代の諸君ならばきっとお分かりだろう。

当時の主流はゲームキューブだとかゲームボーイアドバンスだった。

我らが世代、ポケモンルビーサファイアはリメイクされたこともあり

諸君らにとってまだまだ記憶に新しいことと思う。

 

私のゲーム遍歴はこうだ。

私が小学生のとき、母が所有していた

またもや化石級と言って差し支えないファミコン

マリオ3やゴエモンツインビーにハマった。

さらにゲームボーイなアドバンスを買い与えられ

ルビーサファイアをねだり級友たちと対戦に興じる。

高学年になると、DSでどうぶつの森にどっぷりハマり

高校生になって久しぶりに新どうぶつの森がやりたさすぎて

それだけのために3DS限定版を買った愚か者である。

 

これを見ていただければ

私はどこにでもいるそこそこゲームが好きな小中学生

の変遷を辿ったのだと容易にわかることと思う。

 

私とPSPとの出会いは、たしか家が近くお互いかぎっ子だった友人が

「福々の島」を持っていたことに起因していたと思う。

 

福々の島。子どもがハマるには謎にシュールなゲームである。

ガイコツがひょうきんに踊り、おにぎり占いだとか宣い、あだ名をつけてくる。

ちなみに私は塩にぎり。なかなか気に入っている。

老師や、奇怪な塔が頭にそびえ立つ女は日がな私の吉凶を占う。

チワワや猫みたいな何かは昼夜交代制のシフトで心理分析をはじめ

樹人やマリモはどうでもいいようなうんちくを垂れ流す。

 

中でも一番好きだったのは天使を目指す闇の妖精「モークス」である。

彼の全身はおどろおどろしい真っ黒な煙に包まれているが

その心は優しく絶妙に癒しの言葉を与えて

頭上にたくさんの星を振らせてくれるのだ。

彼は自宅付近のマップに存在し

そこを通るたびに何度も話しかけて癒されている。

 

モークスはたぶん私の原点だったのだと思う。

それが自分にとって恋だとか友だとかという関係性はあまり重要ではない。

ゲームの中とはいえ、小学生の自分にこんな言葉をかける

すでに神々しいほどに愛情深い存在に衝撃を受けていたのだ。

今思えば、誰かによって想像され作られた

人がこうあってほしいと願う、理想の「良心の塊」だったわけだけれど。

私にとっては一生をかけて探し続けるような運命の人のように思えた。

私はずっとこんな美しい心を持つ人に出会いたかったのだ。

現実に存在したなら、その心を持つ人は、自分にどんなふうに話しかけ

何を考え、何を思い、どのように暮らしているのか知りたかったのだ。

 

今の相棒さばがその運命の人かどうかはわからない。

現実と理想は違うものだからね。

でも私は彼の姿形が何に変わっても

最後までその心が美しさを湛えてくれるなら

たとえ私が君の相棒ではなくなったとしても

君を損なおうとする、全ての悪意や外敵から一生守り続けたいと思う。

 

と、かっこよく締めようかと思ったが、この記事の発端は

最近、「パタポンが無性に爆裂やりたくなったから」にほかならない。

一昨日、誰もいないときこっそり実家から持ってきたPSP

10年ぶりくらいに起動してみたのだ。

もうバッテリーが弱ってしまって充電器なしでは動かない。

マップ移動間のローディングもソフトからガガガガガと異音を発し

おそらくそう寿命は長くないのだろう。

でも、私はまだパタポンドンチャカには手をつけず

福々の島で小学生の頃の追憶に浸っている。

 

化石の旧機種iphone5S信者が現代の後輩iphoneに語りかける。

おい、あいぽん

 

俺はオメェに言いたいことがある。

 

俺は高校に上がるまでガラパゴスを愛用して

そこから6年以上もの間、誰にも浮気せず一途におまえを想ってきた。

 

今も使い続けてる、iphone 5S

お前の発売から3年後、後継機のSEが発売。

さらに3年経った現在でも全アジアに在住する俺から

将来を嘱望されてやまない伝説のモデルだ。

 

俺の手に寸分違うことなく収まりきったそのボディ。

微かに弧を描き、どこから見ても黄金バランスのしなやかな体躯。

俺の亡き愛鼠カール・ゴッチよりはるかに軽いウエイト。

上着のポケット、ズボンのポケット、穴という穴にジャストミーツなお前。

 

スマホの中でもお前しか使ったことのない俺だが

間違いなくお前のかっこよさは「過去最高」だ。

 

しかし、ここ数年のお前の後輩どもの体たらくはなんだ。

 

さすがのお前といえど、6年も使い続ければ画面の端が黄ばんできた。

ここまで頑張ったお前だ。

最後くらいゆっくり休んだって誰も文句は言わないだろう。

だから俺は新たな iphone を迎えるべく機種変更を検討し始めていたんだ。

 

それなのに、なぜ図体ばかりでかくなった後輩どもが

我が物顔で、道ゆく人々の手に抱かれながら闊歩しているのだ。

 

なぜお前らはでかくなり続ける?

お前らの大先輩には ipadパイセンがいるのにも関わらず

なぜそんなに画面をデカくしたがるんだ。

 

いったいどこを目指しているんだ。

 

iphone とはなんだ?

 

ただのケータイか?違うだろ、ケータイはもうガラパゴスに任せておけ。

 

お前らはかつての偉人グラハムベルの発明によって生み出された

黒電話、公衆電話、ガラパゴスを経た最終形態であり、究極の電話。

時代の寵児iphone だろう!

 

iphone の何が素晴らしかったか思い出してみろ。

まずお前らが巻き起こしたのは革命だ。

誰もがPCなんていうデカブツを持つことなくインターネットが

この手に収まるサイズで持ち運べるようになったことだ。

 

そしてアップルユーザーが他に鞍替えできない理由はもう一つある。

iphonemacの同期があまりに便利すぎるのだ。

icloudやらのおかげで写真をPCに移し

PCに溜め込んだ音楽のプレイリスト調整も一瞬でできる。

だからこそデータ容量16Gとかいう化石でも大した不便はないのだ。

むしろ他の製品になど鞍替えさせまいとした悪意を感じる。

 

奇しくもiphoneはその先駆者なのだ。

 

そして驚くべきなのは、革命的初登場を飾った初代パイセンはなんと

数多の凡人の心を一瞬で掻っ攫っていった、圧倒美があった。

背面と起動時にあしらわれるリンゴブランドの為す圧倒的クールさ。

何ともしなやか、つるっつるですべすべ触り心地の良い丸みを帯びたボディ。

今は失われた立体的な画面のアプリボタンたち。

 

アジア以外では、ほとんど他社に市場を奪われたお前らが

今、唯一対抗できるものはなんだ?

軽量化?解像度?メモリ上昇?低価格?

違う、価格は確かに下げて欲しいがそんなことではない。

そんなものはどこだってやっている。

 

スマホン侵略によって、残されたお前らが

画期的な新機能を追加することができない今

全アジアの俺たちが求めているのは

1にデザイン、2にデザイン、3にデザインしかもうないのだ。

 

なぜならば、ある分野の性能において突出したスマホンが出回っている以上

もうお前たちは機能面で大した優位を持たない。

そんなお前たちの価格は一般人が推し量るにはあまりに高すぎる。

お前らが今保有しているのは、先駆者としてのブランド力だけだ。

・・・お前たち、泣くんじゃない!誇れ!!先駆者に敬意を払うのだ!!

 

年々、画面拡大成長期を迎えるiphoneXを筆頭とした後輩どもよ。

お前ら欧米育ちだからってメガマック食いすぎなんじゃねぇのか?

日本に輸入されてきたんだから、こっちの食生活に合わせろ。

いいか?異文化交流を深めるにはまず食文化を合わせるんだ。

 

ケツポッケからはみ出すな。痩せろ。

指紋認証の便利さを思い出せ。

顔認証なんてマスク族であるジャポンでは通用しない。

日本人は顔を隠したがる超シャイ民族。

わかってやってくれ。

なんと言っても忍者が存在していたことが全て物語っているだろう?

片手で扱えた先輩方の影を思え。

もみじ手ユーザーのこと視野に入れてないだろう。

思い出すんだ!

 

お前たちには常に使いやすさが求められている。

時代はデカさじゃない。

スマートさだ。軽く小さくサクサク動く高性能。

シンプルだからこその多様性だ。

 

要するに時代のニーズがいかに移ろうとも

iphoneが電話である以上、求めるものは発信と受信なのだ。

 

 

それに最適化されたサイズなのだ。

 

要するに私は車内でエロ同人を読み漁っていたいのだ。

現在の大画面を車内でいじっていたら

隣の人にエロ同人を読んでいることは一瞬でバレる。

 

そうなったらどうなる。

くま吉くんと同じ末路を辿ることになるんだ。

わかっているのか、後輩どもよ。。

 

ーーーーーーー 時代の寵児の行く先を憂う、ガラパゴスの民より 

施設に来て一年、母との再会。

私が施設に来てから1年あまりが経った。

 

昨年の冬、引きちぎるようにして置いてきた母と

今日、久しぶりに実家で会ってきた。

 

母は私の話を聞きながら、終始鼻を啜っていた。

私も母の姿を見たら、なぜだか涙が止まらなくなっていた。

悲しいわけではなく、ひどく懐かしい感じがした。

この1年、私なりにがんばったこと。

今の施設での暮らしについて話した。

 

私が家を出たのは、父が原因だった。

あの人は、プライドが高くそれを傷つけるものを誰一人許さなかった。

社会的な評価は高かったが、家では思い通りにならないと暴言を吐き散らかした。

時にそれは言葉ではなく肉体的な力として行使された。

 

いつだったか、父と母が口論をして母が突き飛ばされた時に

ガラス張りの引き戸が割れて怪我をしたことがあった。

母は「救急車を呼んで」と弱々しい声で私に言った。

そのとき父は私の行動を止める為か

声も出ず呆然と立ち尽くすしかできなかった私を抱きしめた。

それが私は死ぬほど嫌だった。

何より電話もできない、その腕を振り払うこともできない

圧倒的弱者でしかない自分が死にたくなるほど大嫌いだった。

 

私にとって、あの家は絶望の塊だったのだ。

物に溢れ、空気は淀み、いつ爆発するか知れない父に怯え

常に危機察知のみを研ぎすまし、希望は何一つなく

心がどこかで死んでいた。

思考することを拒否し、死にたいと毎日祈り

父をどうやって殺すかということばかりが脳内を支配していた。

臆病者の私はどちらの勇気も持ち合わせず、結局怠惰に生き延びた。

 

久しぶりに帰った家は風通りがよく爽やかだった。

実家は賃貸だったから、私の部屋は以前電話で伝えた通りに片付けてもらい

今は母の部屋となっているようだった。

相変わらず家全体の物量は多いけど

リビングに母好みの多肉植物が並べられていたり

父好みの美術系のポスターが貼られていたり

二人だけの家になっていた。

 

それをみて、最初からここは私の居場所じゃなかったんだ、と悟った。

子どもが両親を選べないように、両親もまた子どもを選べない。

一緒に逃げようと提案したとき血が繋がっている私よりも

赤の他人で理不尽な父を選んだ母にただただショックだった。

でもそうじゃなくて、最初からこの家は私の家ではなかったんだと

家を出てから、ようやく当たり前のことに気づいた。

 

子どもは親にとって線引きのできない他人なのだ。

扶養義務を負い、戸籍上でも、遺伝子的にも、血縁で

同じ環境で暮らし、姿形、性格、思考が似ようとも

自分と似ているだけの別の生き物なのだ。

 

両親は恋愛結婚だった。

そこに子どもという得体の知れない何かが二人の間に加わる。

生まれたばかりの私はきっとかわいかっただろう。

何も知らず、何もできず、自我を持たないから。

 

問題は子どもの自我が芽生えてからの家族の関係性だ。

 

私は誰に似たか知らないが妙に冷めた子どもだった。

将棋という誰のせいにもできない逃げ場のない

白黒はっきりさせる世界がそうさせたかのかもしれないし

自分という人間がそういった性質をもともと持ち合わせていたのかもしれない。

父は激しかったが、理知的で行動力決断力があり、武将みたいな人だった。

母は感情の機微に疎かったけれど、おしゃれで社交的で多くの人から愛されていた。

とにかく性格は両親どちらにもあまり似ていなかった。

 

物心ついた時、毎週のように会う叔父にも人見知りをするような子どもだった。

しかも、他の子に混ざれず一人で泥団子を作るような子だったらしい。

それは学生時代も続き、ほんの少しは友人がいたけれど

積極的に人と関わらなかった弊害なのか、他人への思いやりが欠落していた。

悲しみや怒りの気持ちはすぐに理解できるのに

人の喜びや楽しみにはほとんど共感できなかった。

世間の流行や人の行動に全くと言っていいほど興味がないのだ。

どこぞの服がかわいいとか、どこぞのスイーツが美味しいとか。

外見的なことや物質的なことに全く興味がない。

 

しかもめちゃくちゃマイペースでわがままだった。

他人に急かされたり指図を受けるのが大嫌い。

自分が理不尽と思ったことや納得できないことには一切耳を貸さない。

小学生のとき絵や文章を書きたかったから、新聞係を作った。

将棋部がない高校で大会に出れなかったから、将棋部を作った。

自分がやりたいと強く思うことしか精力的に活動できなかった。

それを認められることもあったし

協調性のなさから見放されることもあった。

 

基本的に人に合わせることに煩わしさを感じるから一人で行動し

良くも悪くも自分が好きなものだけにしか興味を持たない。

独自の世界観を構築しセンスは人といろいろズレている。

オタク気質だけれどオタクと言えるほど造詣は深くないし

人と自分の好きなものを共有したいとも思わない。

私の興味はいつも自分にだけ向いていた。

 

そんなインドアで内向的な私のことを

系統の違うアクティブな両親には全く理解できなかったのだと思う。

 

むしろ苛立ちを感じていただろう。

自分の子どもなのに、なぜこんなこともできないのか。

なぜこんなに手がかかるのかと。

自分自身、本当に不出来な子どもで申し訳ないと今では思う。

両親が私に投資した金額と、何一つ見合っていないだろう。

今の私は何者でもない。何の肩書きも持っていないのだ。

 

 

私は悲しくも学校のお勉強がさっぱりできなかった。勉強嫌いの努力嫌いだ。

唯一、小学生の頃だけは全てが新鮮で学ぶことが楽しかった。

それは小学生の勉強は日常的に必要で、結果がいつも身近にあったからだと思う。

文章を書くとき、漢字を書けた方がかっこいいとか。

お小遣いで、お菓子何個までなら買えるとか 。

 

勉強は文字通り、強く努めなければならない。要するにしんどい。

努力嫌いなのは、結果がでない努力なんか無意味かつしんどいからだ。

努力はいつか報われるだとか、努力は誰かが見ているだとかもよくわからん。

いつかを期待するほど私に胆力はない。

絶対実現可能、そうじゃなくても、見込みが立つくらいじゃなければやりたくない。

そもそも結果を得る為に努力するのであって、努力自体は自己満でしかない。

これだけ努力したんだから、自分は大丈夫っていう自信を持つため。

努力をしようが、怠惰にやろうが、同じ結果なら後者がいい。

 

ここまでつらつらとたくさんの言い訳を並べたが

こんなくだらない湿った生き方も今日で卒業しようと思う。

自分ができない理由を性分のせいにするのはやめだ。

自分で自分にこれはできないと制限するのはつまらないし

なんか嫌だ。かっこ悪い。後悔ももうしない。

私は過去の私に許されたい。

かっこいい大人になったと思われたいのだ。

 

実家で母と会って良かったと思ったのは

あの家はもう私の居場所ではないと、はっきり脳裏に焼き付けたからだ。

小ぎれいになった家は、私が家を出たことは正しかったと示してくれた。

私は母が大好きなのだ。昔も今も。

知らぬ間に老いた母を見て切ない気持ちになんかなりたくない。

知らぬ間に死んだ母を見て葬式で後悔なんかしたくない。

 

今日、もう一度母と出会うことで、私は私自身の一つの未来を救った。

自分の中に縛り付けていた昔の自分を一人許すことができた。

 

だから、私は今日たくさんの幸せを抱えて眠ろうと思う。

 

癒しと勇気をありがとう、さばちゃん。

そして、おやすみ、さばちゃん。