こるこには、さばと行く。

過去の自分に、今のオレかっちょいいと言わせたい日記。

もしも、今日、父が死んだ場合。

父の日の前日だというのに、父が死ぬ夢をみた。

 

別に今はあの人に対して、憎しみはない。

全くの他人のような感じで、今何をして過ごしていようが特に興味もない。

 

父の死に様は描かれなかったけれど葬式の模様は緻密だった。

母はハンカチを忍ばせながら啜り泣き、あるいは呆然としていて

そのほかの遠い親戚たちも同様に啜り泣いていた。

そんな中、ほぼ親族とも疎遠になっている私は

皆と同じように喪服に包まれながらもその様子を他人事のように眺めていた。

 

寂しくも悲しくも悔しくもないのに

ただ自分の心を支配し続けてきた記憶がごっそり抜け落ちるような

空虚な思いだった。

 

たぶん、どうでもいいとは思いつつも

父と私の関係に落とし所を求めているのだと思う。

おそらく父が死ぬことで、過去の行き場を見失ったのだ。

 

その後、私はあの家に戻った。

母は父の遺品を全て捨ててしまったようで、家はがらんどうだった。

父の布団も、とても大事にしていたオーディオセットも

美術展のポスターも、彼のものは何一つ残されず

その上、母が好きだったであろう植物たちも何もなくなり

引っ越したばかりのような殺風景な部屋になっていた。

 

私は母となら家族の時間をやり直せると思って

あの家に戻ったのだけれど、母にとってはやはりそうじゃなかった。

母ですらあんなに父への悪態を言い続けていたのに

結局あの人は父が好きで、その場所を私が埋めることはできないんだ、と。

大人向け恋愛漫画にありそうな片思いをしているような気持ちになった。

 

私は一応マザコンの自覚がある。

でも、それはただの思春期の片思いのようなもので

母の愛を独り占めしたい、子どもの駄々みたいなものだ。

ただこっちを振り向いてほしかっただけだ。

 

結局家に戻っても、私は母に必要とされなかった。

あの人は今まで以上に家に帰らなくなった。

父の死亡保険で降りた金を使って

自暴自棄のように海外旅行へ行ったり

鬱憤を晴らすように豪遊する日々を送るようになった。

 

 

そこで目が覚めた。

 

中高生の頃あんなに死ねばいいのにと呪詛を唱え続けたのに

実際あの人が死んだとして、もはや私にはあの家に介入できないらしい。

母はやっぱりどこまで行っても男がいないと生きていけない人なのだ。

飲み会に誘われまくっても、ヨガや山に登って健康に気を遣うようになって

たくさんの友人に囲まれるような人であっても

やっぱり結局父なのだ。私ではない。

 

でも、特にそれを寂しいとはもう思わない。

あの人の人生だ。最初から最後まで。

そして私の人生も最初から最後まで全て私だけのものだ。

だから、それでいいのだ。

 

父の日の前日に私の未来を決めるであろう夢が見れてよかった。

私の心はまたひとつ家族とのけじめをつけることができた。

 

明日、父の日に素敵な花を一本だけ贈ろうと思っている。

「私は今とても幸せです」という意味を込めて。