こるこには、さばと行く。

過去の自分に、今のオレかっちょいいと言わせたい日記。

苦い将棋といちごの香り。

昼過ぎの庭からは、いちごの甘い香りがした。

庭にいちごなんて植わっていないのに。

 

その香りを嗅ぎながら食堂に向かう途中

ありがとうの気持ちを思い出した。

 

いろんな人にありがとうを伝えたい気持ちになった。

だから、ここに記しておこうと思う。

 

私は将棋をやめてから、何度か将棋に向き合おうと思った時期があった。

将棋が好きだから。理由はただそれだけでいいはずなのに

あまりにも無残な負け方をすると、すぐにでもやめてしまいたくなって

勝ってもあまり感動することなく、将棋の負けの辛さに向き合えなくなった。

 

好きだから。という理由だけでは、大人になってから続けるのには足りない。

例えば、将棋の強さより将棋をする人たちと仲良くなりたいとか。

もっともっと強い相手に挑み、強くなりたいからなのか。

将棋の戦法を研究したり、詰将棋を作ったりするのが好きなのか。

団体戦とか大会で活躍したいのか。

将棋を知らない人たちに将棋を教えるのが好きなのか。

 

趣味にだって、好きの理由があるはずだ。

どんな風にそれをやっていきたいのか。

 

私にはそれがなかった。

続けたいがための明確な理由。

将棋が好き。

それは確かだった。

将棋をやってきたおかげで、たくさんの世界と出会って

私にはもったいなくらいの賞をもらったこともある。

 

将棋の勉強は基本的に一人でする。

でも将棋を作るのには二人いる。

 

私は有名になりたいわけでも賞が欲しかったわけでもなくて

たぶんずっと友だちが欲しかっただけなんだ。

 

将棋で楽しい場面を思い出すと出てくるのは、いつもライバルがいた時だ。

同い年で小学生から高校生まで一方的にライバル視していた子。

小学生の低学年のほんの短い間、よく盤を挟んで遊んだ子。

高校生くらいの頃、同じ将棋クラブに通っていたちょっと生意気な後輩。

 

その中の一人は、今プロになって活躍しているようだ。

新四段インタビューであの時と変わらないステキな笑顔を見たときは

なんだかすごくよかったなぁと思った。

何も変わっていない、ただ将棋が好きなあの頃の君と全く同じで

すごくホッとしたんだ。

彼には棋士としてというより、人として幸せになってほしいと思う。

 

私はプロを目指していた。

そして強さを求める将棋を続けたことで欠けてしまった人間だ。

将棋のせいにするなんて本来お門違いも甚だしくて

全て己の心が弱いせいだと重々わかっている。

 

その上で言う。

将棋は時に対話で哲学でもある、と私は思う。

相手が指した手から、あなたはなんですかと問いかけられる。

将棋は私にとって私を作るものだった。

その問いに答え続けることで、私は自分になっていた。

心が曲がれば将棋も歪む。

私の心は勝ちを望めば望むほど消耗して限界を迎えて、歪んでしまった。

勝っても上には上がいて、周りも自分とほぼ同じくらいの実力で

上がりたくても黒星が重なって停滞して

自分がどこにいるのかわからなくなって

将棋を指すことを楽しいと思わなくなってしまった。

 

将棋が好きなはずなのに行き場所がなくなってしまった。

好きなのに続けたいのに自分を信じられなくなってしまった。

歪んでしまった弱い心が現れた将棋を

自分自身がこれ以上醜くなっていくのに耐えられなかった。

 

そして、私はプロになれなかった。

というより、その土俵にももはや立てていなかった。

逃げるようにして今になった。

 

でも、今ようやくこれで良かったんじゃないかと思えるようになった。

私が描いたような夢は何も叶っていない。

ストイックに上を上を目指すような世界に私はいない。

 

むしろ反対方向だ。

中学生の私がそこにいたら

「何を平和ボケしているんだ」と侮蔑の視線で睨め付けられただろう。

時間をゆっくり過ごして、自分の体と愛する人と一緒にほのぼの生活だ。

私は私の新しい幸せのカタチを見つけた。

 

少なくとも、私は欠けて歪んでしまった自分を救えた。

自分勝手で誰にも感謝しない他者を省みない、自分を救えた。

愛されず愛せず、強くなることだけを望んでいたあの頃に

私は戻りたいと思わない。

 

もしプロになっていたとしても、同じような出会いや機会はあったかもしれない。

だけど、きっと時間軸が違ったと思う。

今のこの田舎のようにゆっくりとした平和ボケした時間は

おそらく闘い続ける人たちが持つことはなかなか難しいと思う。

その覚悟を持てなかった私が、偶然にも今を得たことが幸せだと思う。

 

私はまだ将棋と向き合うことも触ることもできないけれど

確かにステキな思い出もあったこと。

彼らに引き合わせてくれたこと。

今の道を選ばせてくれた全てに感謝している。

 

私たちにはなんの共通点もないけれど

将棋さえしていればまたどこかで会えるから。

彼らに会いたくなったら、その時もう一度

今の幸せになった気持ちを込めて将棋が指せたらいいな、と思う。