こるこには、さばと行く。

過去の自分に、今のオレかっちょいいと言わせたい日記。

私は自分が思っていたよりもはるかに大切にされていたんだね。

たった今、白昼夢を見た。

 

最近の夏日に参ってるのかもしれない。

昼時近くなると、日光浴と称して窓辺で寝てしまう。

 

懐かしい夢を見たんだ。

 

私の高校生の時の友人だ。

私が将棋部を作るのを協力してくれて

軽音部に入るときはドラムをやってくれた。

今思えばわがままな私は彼女をたくさん振り回してしまった。

私が通っていた高校は、3年間クラス替えがなかったのだけれど

在学後半には彼女も愛想を尽かしていたと思う。

 

彼女は私が今まで出会った中で一番おもしろい人だった。

天真爛漫でよく笑う。

子どもっぽいぽちゃっとした体型だったけれど、愛嬌がある顔立ちで

オタクとかギャルとか関係なくみんなに好かれていた。

基本的にふにゃふにゃした笑顔で人当たりがよく、頭もものすごくよかった。

勉強ができるのもそうだけれど、彼女の世界はすごく魅力的に思えた。

絵を描かせればトグロを巻いたような、色もデザインもごちゃごちゃで

まったく統一感のない気持ちが悪くなるようなものを見せた。

たぶん彼女が好きなものを詰め込んだ何かだったのだと思う。

なんとなく覚えているのは、スイカとビーチボールとトイレだっただろうか。

とにかくわけのわからないものが雑多にごちゃ混ぜに描かれていた。

それを見て彼女の脳内を覗けたような気がして、安心した覚えがある。

あっ、これは完全に私の理解や感性が及ばないところで生きてる人なんだと。

 

ちなみに彼女の当時の外見はまんまサブカル女子だった。

よく15cmはあるだろうスケルトンのピアスをしていた。

女性的というよりは、おもちゃみたいなポップな印象だった。

家にオバケがいるから帰りたくないとか子どもっぽいことを言うくせに

結婚相手は金持ちのじいさんがいいとかいう

変なところで現実的というか醒めたことをいう人だった。

 

あと、とても音楽のセンスが良かった。

音楽はほとんど彼女に教わった。

ナンバーガール鉄風鋭くなってが

何もいうことがないほど完璧に度肝抜くほどかっこよかった。

サイサリアサイサリスサイケも当時とっくに解散していたけれど

butch & the sundance kid の狂気的で退廃的な爆裂厨二病感が刺さった。

彼らの他の曲にも通じるのだけど、何より最高なのは

ヤンキーと理論という相反するように思われるものが

一つの曲に混在しているのが最高オブ最高なのだ。

地中の底から噴き出した不機嫌そうな爆裂ヤンキー内田紫穏に相まって

理性的で緻密な音を作る松本亨が曲として

このないまぜ感、サイケ感を成立させたことが何よりもすごい。

 

他にも当時は微妙と思っていた tricot も爆裂パニエさんだけで敬遠したが

今となっては彼女たちの独特なあの涼しさにまさに虜になっている。

最近聴いた potage は、涼やかさに色気が加わって、さらに魅力的になっている。

あとは嘘つきバービー解散後にできた、ニガミ17才もすごくいい。

残念ながら嘘つきバービーも当時気持ち悪いで一蹴してしまったんだけど

ニガミ17才はその気持ち悪さを残しながら爽やかで聴きやすくなっている。

 

と音楽レビューみたいになってしまったが、私は音楽事情にはとんと詳しくない。

 

ここで何が言いたかったのかというと、彼女が目をつけていたバンドは

ことごとく今の私に大ヒットしているということだ。

ナンバーガールやサイサリはすでに伝説だったけれど

デビュー当時のtricotがここまでメジャーになるとは予想できなかったと思う。

つまり彼女には先見の明があったのではないかと思わざるを得ない。

 

そんな彼女の夢を見たのは久しぶりだ。

 

遊覧船に、芸妓のような格好をした彼女が乗っていた。

正直、七五三みたいだと思った気がしたけれど、変わらず愛らしかった。

 

場面が切り替わると、高校の教室だった。

ギャルやバスケ部、私がいたグループ、みんないた気がする。

文化祭の出し物の用意でもしていたのだろうか。

教室内は物で溢れ雑多な様子だった。

私の教室には思えばリーダーらしい人がいなかった。

ギャルグループと、ビッチグループと、オタクグループと、サブカルグループと

部活グループに分かれていた気がする。

40人のクラスでそれぞれ興味が違いすぎたので

リーダーの立てようもなかったのだと思う。

それゆえに文化祭とかの出し物では協調性はあまりなかったように思う。

 

 

私自身、将棋部の展示どうしようとかで手一杯で

ほとんど教室の出し物を手伝った記憶がない。

これまたリーダーを引き受けてくれていた子たちには迷惑を

かけてしまったなぁと今頃になって反省に及ぶ。

 

そんな中、彼女と私が文化祭の準備をしているときだ。

どちらからともなくキスをした。

友愛とか親愛という信頼を置いてはいたけれど

私は彼女に恋愛感情を持ったことは一度たりともなかった。

彼女もおそらくなかったと思う。

好奇心だったのだろうか。

なぜかそんなに嫌な気がしなかった。

 

また場面が変わる。

今度は小さいライブハウスだ。

パッツパツのレザーパンツを履いてパンクな装いの彼女と

悪そうな仲間たちが現れた。

たぶん社会人になって久しぶりの再会といった場面だ。

二、三こと言葉を交わしたような気はするが

何を話したのか覚えていない。

ただ印象に残ったのは、あのフェレットみたいな茶髪でもなく

黒髪ぱっつんの三つ編みでもなく、ショートカットで

真っ赤な口紅を塗っていた姿だ。

 

そこで目が覚めた。

ひどく懐かしい気がした。

目が覚めて LINE を見ると、専門学校時代の友人たちから連絡が来ていた。

彼女とはまったく関係ないところで、私を呼ぶ人たちがいた。

それがなんだかすごく嬉しくて

私は自分が意外にも大切に思われているんだということを知った。

 

この世の中で私を大切に思ってくれているのは

さばちゃんと、母しかいないと思っていた。

欲張りすぎているかもしれないけれど、私は孤独だと思っていた。

友人だと思ってくれている人たちからしたら、とんだ迷惑な話だ。

 

私だって何度か裏切りは経験したことがある。

夢を一緒に語って笑いあった仲間が、実は裏で悪口を言っていたり。

金を貸した友人が音信不通になったり。

 

私がしてきたのはそれと同じことだったのだと、ようやく気づいた。

私はこの施設に来てから、全ての連絡手段を断った。

それが施設に入る規則でもあったし

私もそうすることで家族を断ち切る覚悟を決められた。

その時の覚悟を私は今でも間違っていないと思っている。

あの時の私にはどうしても必要なことだった。

 

ここに入ってから、私は孤独と充足を得た。

誰にも脅かされない日々。生活するのに何不自由ない。

でも誰も私のことを知らない。

私が生きてることも、どこにいるかも、かつて私を知っていた誰もが知らない。

スマホを復活させても、ほとんどの友人に電話番号やLINEを教えず、今を迎えた。

今の状況を説明することもめんどくさいし、いらん同情をされるのも嫌だった。

 

私はこの世にいるたった二人の人間以外からは

本当にまったく必要とされていないと思っていたんだ。

私の23年間はさばと出会ったことで報われたと、それだけでいいと思っていた。

私が大切ではないと切り捨ててしまった人たちの中にも

私を大切に思ってくれていた人たちがいたことに

本当に愚かなことに気づかなかったんだ。

 

私はこれから高校時代の友人に連絡を取ろうと思う。

これだけ蔑ろにしたのだ、たぶん個人では会ってもらえないだろうから

せめて同じグループにいた子たちを含めて同窓会ができたらと思う。

そこでもし彼女に出会えたなら、当時のわがままも含めて謝ろう。

 

もしできるのなら、また少しづつ私を知る人を増やしていきたい。

人の目に晒されることに怯えるのをやめて、過去を今に結びつける作業をする。

断ち切ってしまったものを、もう一度縫い合わせて

私たちが一人じゃなくならないようにして行きたいと思う。